あっという間に、感謝祭1週間前に。
どれどれ、仕上がりはどうかな?
今日も全体で稽古をした後、2部屋に分かれて準備に!!
何と、ここは料理室⁉作業の部屋をとるのも大変です💦
向こうに見えるは、演劇チームです。
ダンスと歌チームは、お向かいの音楽室で衣装を着ての特訓中。
そして、テーブル一杯に広げて奮闘しているのは、展示チームです。
「すずしろ20周年のあゆみ」
20年分のフライヤー、チケット、舞台や楽屋の写真・・・。
一つ一つに20年分の団員たちの思いが宿っています。
「あれも載せたい!」「これも良いネ!」ワイワイ、がやがや
・・決めるのはなかなか難しい💧💧
お祝いなので、全面に紅白の横断幕飾りたい!!
いやいや、経費が・・・。みんなの工夫のしどころです。
さてさて、どんなレイアウトで展示されるのか?
是非、9月29日(日)、メイプル小ホールでご覧ください。
13時〜16時半まで、展示しています。
ホールの中では様々な演目をやっています!
気軽に覗いてみてください💕
2024年09月21日
2024年09月20日
ついに! 第3回本公演「この度はご愁傷さまです」
すずしろ活動は5年目に入って益々順調に快調なペースでやってこれたが、
一番の悩みは面白い上演作品がなかなか見つからないことだった。
「煙が目にしみる」と「見果てぬ夢」以上の面白くすずしろに合っている作品がない(-_-;)
今のように何もかも情報がネットやスマホで探せる時代でもなかった。
図書館を巡り本屋を巡りパソコンでネット検索など試みるがなかなか見つけられなかった。
ある日新聞の書評で「面白い」とあった漫画本「この度はご愁傷さまです」を読んで、
これいけるかもとピンときた私は、すぐに本屋へ行きこの漫画本を手に入れた。
漫画なのでストーリーはめちゃくちゃでとても舞台化は出来ないけど、
この物語の設定が実に面白かった。
かなり「はッちゃけた親父」が亡くなり、3人の子供(長男、長女、次女)に1億円の遺産を残す!!
その遺産を手に入れる方法も「かなりはっちゃけている」
その過程で親とも兄妹とも疎遠だった3人は親の思いや人生で大事なものに気づいていく・・
その設定だけを頂いて、すずしろに合うように脚色していった。
原作の宮本福助さんにどうやって連絡取ろ?!(それも初体験)
小学館発行? 東京の本社に電話したら、宮本福助さん担当の編集者に話を聞いてもらえた。
「うちが発行元なので、宮本さんに聞いてみます」
かなり事務的なお返事・・(-_-;)
そりゃ、映画化やドラマ化の儲かる話ではないのだ。
アマチュアのシニア劇団?!(なんの旨味もない話だもんなあ)
しか〜し、宮本さんは「そういう事情なら」(かなり頑張ってアピールした(笑))
「どうぞ上演権も無料でお使いください」(ええひとやんかぁ!)
小学館の担当者は「もし再演するときは必ず連絡ください」と念を押された
こうして徐々に色んなルールを勉強し、私の「すずしろワールド」が広がっていった。
入場料が無料からやっと500円の有料となった!(有料にするには議論白熱喧々諤々の結果だ)
すこしづつ書き進めては稽古でみんなとやってみた・・
10か月も俳優の舞台のお仕事ですずしろにはお留守だった操先生にはけちょんけちょんにけなされた(-_-;)
「こんなのやったら、完全にすべります。全部ゼロにしてやりなおし」
「頑張って稽古でも試して書いた台本なのでこれ以上出来ません」
「なら僕が書きます」
「操先生、大瀧萌ゆるの主役も3月にあるのにできますか?」
(この時すでに私は操先生のぎりぎりまで動かない、
自分のペースでしか動かないのが操先生だってことを痛いほど知っていた)
「余裕でしょう。来年の5月でしょう? 11月くらいにできてなかったらやばいけど」
実際は「大瀧萌ゆる」の本番が終わる3月まで何も進まずにいくことになる(-_-;)
結局、もともとすずしろで作っていた台本に操先生が手直しをいれながら、
2か月で公演ぎりぎりで仕上がった。
操先生も私も、台本を手直ししすぎて、これが面白いのかどうか判断できなくなってしまった((笑)
舞監の中村さんが「面白いやん」と言ってくれたひと言でふう〜とひとまず安堵したのをよく覚えている。
操先生のキチンとした和室が欲しいという希望で、
初めて舞台セットをメイプルの制作会社に頼んだ。
流石の畳の和室の仕上がりに感心しきり。
でも庭のブランコも団員の手作りだし、
テレビはおすぎさんの家から、ビデオデッキは私の家のやったかな?!
まだ箕面の山のクリーンセンターでは、リサイクルで展示してあるのは
無料で持って帰っても良い時代で、タンスや他のものも全部探し出してきた。
実際この作品は好評でその後2度再演された。
集合写真も団員数が増えてきているのがわかる。
ここらへんの作品までは、すずしろの成長を実感しながら充足した活動だったと思うけど、
どこらへんからすずしろは変わっていったのかな?!
一番の悩みは面白い上演作品がなかなか見つからないことだった。
「煙が目にしみる」と「見果てぬ夢」以上の面白くすずしろに合っている作品がない(-_-;)
今のように何もかも情報がネットやスマホで探せる時代でもなかった。
図書館を巡り本屋を巡りパソコンでネット検索など試みるがなかなか見つけられなかった。
ある日新聞の書評で「面白い」とあった漫画本「この度はご愁傷さまです」を読んで、
これいけるかもとピンときた私は、すぐに本屋へ行きこの漫画本を手に入れた。
漫画なのでストーリーはめちゃくちゃでとても舞台化は出来ないけど、
この物語の設定が実に面白かった。
かなり「はッちゃけた親父」が亡くなり、3人の子供(長男、長女、次女)に1億円の遺産を残す!!
その遺産を手に入れる方法も「かなりはっちゃけている」
その過程で親とも兄妹とも疎遠だった3人は親の思いや人生で大事なものに気づいていく・・
その設定だけを頂いて、すずしろに合うように脚色していった。
原作の宮本福助さんにどうやって連絡取ろ?!(それも初体験)
小学館発行? 東京の本社に電話したら、宮本福助さん担当の編集者に話を聞いてもらえた。
「うちが発行元なので、宮本さんに聞いてみます」
かなり事務的なお返事・・(-_-;)
そりゃ、映画化やドラマ化の儲かる話ではないのだ。
アマチュアのシニア劇団?!(なんの旨味もない話だもんなあ)
しか〜し、宮本さんは「そういう事情なら」(かなり頑張ってアピールした(笑))
「どうぞ上演権も無料でお使いください」(ええひとやんかぁ!)
小学館の担当者は「もし再演するときは必ず連絡ください」と念を押された
こうして徐々に色んなルールを勉強し、私の「すずしろワールド」が広がっていった。
入場料が無料からやっと500円の有料となった!(有料にするには議論白熱喧々諤々の結果だ)
すこしづつ書き進めては稽古でみんなとやってみた・・
10か月も俳優の舞台のお仕事ですずしろにはお留守だった操先生にはけちょんけちょんにけなされた(-_-;)
「こんなのやったら、完全にすべります。全部ゼロにしてやりなおし」
「頑張って稽古でも試して書いた台本なのでこれ以上出来ません」
「なら僕が書きます」
「操先生、大瀧萌ゆるの主役も3月にあるのにできますか?」
(この時すでに私は操先生のぎりぎりまで動かない、
自分のペースでしか動かないのが操先生だってことを痛いほど知っていた)
「余裕でしょう。来年の5月でしょう? 11月くらいにできてなかったらやばいけど」
実際は「大瀧萌ゆる」の本番が終わる3月まで何も進まずにいくことになる(-_-;)
結局、もともとすずしろで作っていた台本に操先生が手直しをいれながら、
2か月で公演ぎりぎりで仕上がった。
操先生も私も、台本を手直ししすぎて、これが面白いのかどうか判断できなくなってしまった((笑)
舞監の中村さんが「面白いやん」と言ってくれたひと言でふう〜とひとまず安堵したのをよく覚えている。
操先生のキチンとした和室が欲しいという希望で、
初めて舞台セットをメイプルの制作会社に頼んだ。
流石の畳の和室の仕上がりに感心しきり。
でも庭のブランコも団員の手作りだし、
テレビはおすぎさんの家から、ビデオデッキは私の家のやったかな?!
まだ箕面の山のクリーンセンターでは、リサイクルで展示してあるのは
無料で持って帰っても良い時代で、タンスや他のものも全部探し出してきた。
実際この作品は好評でその後2度再演された。
集合写真も団員数が増えてきているのがわかる。
ここらへんの作品までは、すずしろの成長を実感しながら充足した活動だったと思うけど、
どこらへんからすずしろは変わっていったのかな?!
2024年09月18日
すずしろのお花見は必須行事やったなぁ
2024年09月17日
元祖「大根通信」
2024年09月16日
役行者、修行の地へハイキング
2024年09月15日
「大瀧萌ゆる」客演
メイプルホール創立20周年を祝して、
2009年3月14日15日とメイプル財団主催のお芝居が上演された。
これは1000年以上も前に役行者が箕面で修業をしたという郷土史から起こしたオリジナル作品で、
その主役の役行者(えんのぎょうじゃ)役を操先生が演じることとなった。
「すずしろ」も客演で呼んでもらったが、総勢90名くらいの出演者で、
箕面市で活動している殆どのグループは参戦した。
和太鼓、龍安寺のほら貝、ダンス、コーラス、などなど、
そこに渋谷天外さんに末成由美さんなど、プロの役者さんたちも沢山出演された。
私達は村の長老役で、村長を当時の倉田哲郎市長が演じることになった。
何が楽しかったって、自分達の出番は少ないので、客席で渋谷天外さんや末成由美さんの掛け合い漫才のような
芝居を客席からずっと見てられること(笑) お二人は毎回違うお芝居をして、私達を大いに笑わせてくれた。
主役の操先生とは全く絡む場面もなく、修行に励む若き役行者はもののけ姫役のような美しい女性に恋される
まあ、主役やからええ役です(笑)
追いすがる母親とも別れひたすら修行に励みます。
きゃ〜かっこいい〜〜♬
この時32歳くらいですかね?
気楽に楽しんで参加した団員達ですが、
操先生は主役で気が張るし、役つくりや大勢のプロアマの中で大変だっただろうなと思います。
小さな劇場での主役は何度もされていたけど、1000名のホール2日間だったので、大変だったろうと
今でも思います。
こうしてすずしろ活動は思いもしなかった色んな世界へと導いてくれるのだった。
2009年3月14日15日とメイプル財団主催のお芝居が上演された。
これは1000年以上も前に役行者が箕面で修業をしたという郷土史から起こしたオリジナル作品で、
その主役の役行者(えんのぎょうじゃ)役を操先生が演じることとなった。
「すずしろ」も客演で呼んでもらったが、総勢90名くらいの出演者で、
箕面市で活動している殆どのグループは参戦した。
和太鼓、龍安寺のほら貝、ダンス、コーラス、などなど、
そこに渋谷天外さんに末成由美さんなど、プロの役者さんたちも沢山出演された。
私達は村の長老役で、村長を当時の倉田哲郎市長が演じることになった。
何が楽しかったって、自分達の出番は少ないので、客席で渋谷天外さんや末成由美さんの掛け合い漫才のような
芝居を客席からずっと見てられること(笑) お二人は毎回違うお芝居をして、私達を大いに笑わせてくれた。
主役の操先生とは全く絡む場面もなく、修行に励む若き役行者はもののけ姫役のような美しい女性に恋される
まあ、主役やからええ役です(笑)
追いすがる母親とも別れひたすら修行に励みます。
きゃ〜かっこいい〜〜♬
この時32歳くらいですかね?
気楽に楽しんで参加した団員達ですが、
操先生は主役で気が張るし、役つくりや大勢のプロアマの中で大変だっただろうなと思います。
小さな劇場での主役は何度もされていたけど、1000名のホール2日間だったので、大変だったろうと
今でも思います。
こうしてすずしろ活動は思いもしなかった色んな世界へと導いてくれるのだった。
2024年09月14日
2008年秋・・
感謝祭の準備、着々!!
9月は稽古の時間に、各担当に分かれて、感謝祭の準備です。
ジャジャジャジャーン
こんな感じです。
9月29日(日) メイプル小ホール 12時40分開場 13時開演です!
入場は、無料です。
クイズの景品は?
歌は? ダンスは?
もちろん劇は?
落語は黙々と家練で。何だか楽しい!
各自、特技を生かしたり、やりたいことをしたり、楽しんで頂けるように頑張っています。
それぞれの分野に秀でているメンバーが引っ張ってくれています。
演目の間の出入りは、自由になっています。是非、少しの時間でもお立ち寄りください!
なお、ロビーでは、このブログで振りかえっているような「すずしろ」の歩みを展示しています。
また、子どもたちと作れる手作りおもちゃのコーナーもあります。
ご来場、お待ちしています。
ジャジャジャジャーン
こんな感じです。
9月29日(日) メイプル小ホール 12時40分開場 13時開演です!
入場は、無料です。
クイズの景品は?
歌は? ダンスは?
もちろん劇は?
落語は黙々と家練で。何だか楽しい!
各自、特技を生かしたり、やりたいことをしたり、楽しんで頂けるように頑張っています。
それぞれの分野に秀でているメンバーが引っ張ってくれています。
演目の間の出入りは、自由になっています。是非、少しの時間でもお立ち寄りください!
なお、ロビーでは、このブログで振りかえっているような「すずしろ」の歩みを展示しています。
また、子どもたちと作れる手作りおもちゃのコーナーもあります。
ご来場、お待ちしています。
2024年09月11日
資金集めにカルフールのバザーに参加!
2008年7月、そのころはカルフールといっていた現在のQ’sモールの川沿いの広場で
リサイクル市が何か月に1回催され、参加3000円を払ったら誰でも参加できた。
ニューヨーク行くにもとにかく沢山のお金が必要だろうと、軍資金集めに参加してみた。
暑い暑い炎天下、朝8時頃から準備を始め夕方まで、それはそれはハードだったけど、
自分達が家にある要らないものを持ち寄ったら、それはそれは沢山の売り物が準備できた。
前日に下見にきて万全の準備をしたけど、どこかみんなワクワクと楽しみ感満載(笑)
何をしても楽しかった無邪気な時代だったと思う。
目的も行動もはっきりして頑張り甲斐があるのだ(笑)
下見にまず集まった
ご飯も一緒、稽古以外にもすずしろのイベントは増えていき、どんどん仲間意識も濃くなっていった
炎天下の当日!
まあ、びっくりする人出となんでもどんどん売れていくのにびっくり(*_*)
この頃はまだ熱中症の危険は叫ばれていなかった時代。
午前中は800円、1000円と値段がついていたのも、
午後には半額にしたら、お客さんもどんどん値切ってくる(-_-;)
その交渉も面白かったなぁ
もともと家から持ち出したものなので、仕入れたものはないので、売り上げがそのまま収入となった。
売上は確か5万円以上だったとおもう、一つが何百円のものばかりだから、ほとんどのものは売れた。
このリサイクル市に合計で5〜6回は参加したと思う、
私の家の納戸はきれ〜いに不用品が片付いた(笑)
リサイクル市が何か月に1回催され、参加3000円を払ったら誰でも参加できた。
ニューヨーク行くにもとにかく沢山のお金が必要だろうと、軍資金集めに参加してみた。
暑い暑い炎天下、朝8時頃から準備を始め夕方まで、それはそれはハードだったけど、
自分達が家にある要らないものを持ち寄ったら、それはそれは沢山の売り物が準備できた。
前日に下見にきて万全の準備をしたけど、どこかみんなワクワクと楽しみ感満載(笑)
何をしても楽しかった無邪気な時代だったと思う。
目的も行動もはっきりして頑張り甲斐があるのだ(笑)
下見にまず集まった
ご飯も一緒、稽古以外にもすずしろのイベントは増えていき、どんどん仲間意識も濃くなっていった
炎天下の当日!
まあ、びっくりする人出となんでもどんどん売れていくのにびっくり(*_*)
この頃はまだ熱中症の危険は叫ばれていなかった時代。
午前中は800円、1000円と値段がついていたのも、
午後には半額にしたら、お客さんもどんどん値切ってくる(-_-;)
その交渉も面白かったなぁ
もともと家から持ち出したものなので、仕入れたものはないので、売り上げがそのまま収入となった。
売上は確か5万円以上だったとおもう、一つが何百円のものばかりだから、ほとんどのものは売れた。
このリサイクル市に合計で5〜6回は参加したと思う、
私の家の納戸はきれ〜いに不用品が片付いた(笑)
2024年09月10日
ホップ!ステップ!!ジャンプ!!!
4年目に入ったこの頃から、俄然すずしろ活動はどんどん活発になってきました。
大胆な目標である「Make a Wish to Broadway」の企画も、
当たっては砕け、当たって砕けを繰り返しながらも、めげずに扉を開きつづけていった。
箕面市の利用者協議会のメンバーにもなり、年1回の「ふれあい祭り」も勿論欠かさず参加、
今は公開練習の形での参加が多いけど、当初は店を出したりもしたんですよ。
2008年10月のふれあい祭りです。
誰も信用しなくても自分達は平気!
やりたいことやりまっせ〜!
公演の宣伝もふたつもあるって、この〜売れっ子!?
お安くしとくよ〜〜!
楽しかったなぁ〜、なんでも挑戦してやってみることがめちゃ楽しかったしエネルギーも一杯!
雅子ちゃんも若いなあ〜!
この頃から、裏でお金勘定をしっかりと!(笑)
劇団も若ければ、団員も若い時代!(笑)
この年は操先生が商業舞台で東京、大阪、名古屋と1か月づつの公演やあれやこれやで一年のうち10か月お留守でした。
操先生がいなくてもなんでも自分たちで決めて行動していました。
大胆な目標である「Make a Wish to Broadway」の企画も、
当たっては砕け、当たって砕けを繰り返しながらも、めげずに扉を開きつづけていった。
箕面市の利用者協議会のメンバーにもなり、年1回の「ふれあい祭り」も勿論欠かさず参加、
今は公開練習の形での参加が多いけど、当初は店を出したりもしたんですよ。
2008年10月のふれあい祭りです。
誰も信用しなくても自分達は平気!
やりたいことやりまっせ〜!
公演の宣伝もふたつもあるって、この〜売れっ子!?
お安くしとくよ〜〜!
楽しかったなぁ〜、なんでも挑戦してやってみることがめちゃ楽しかったしエネルギーも一杯!
雅子ちゃんも若いなあ〜!
この頃から、裏でお金勘定をしっかりと!(笑)
劇団も若ければ、団員も若い時代!(笑)
この年は操先生が商業舞台で東京、大阪、名古屋と1か月づつの公演やあれやこれやで一年のうち10か月お留守でした。
操先生がいなくてもなんでも自分たちで決めて行動していました。
2024年09月09日
ワークショップ再び
2024年09月08日
第2回本公演へ
すずしろを立ち上げて丸3年を過ぎた2008年2月に第2回本公演を上演しました。
演目は試演会と依頼公演ですでに3回上演している「煙が目にしみる」を
3回しているとはいえ、東生涯学習センターの大会議室ですので、
きちんとホールで上演してみたい思いもあって決めました。
相変わらず入場料は無料ですね!(-_-;)
ホールスタッフさんが手伝ってくれると、それらしく舞台が仕上がる、流石プロの手というのは
凄いなと感心しました。
楽屋のやり方もこのころから同じ(笑)
1期生と2期生たち
さくらさん、わか〜い! 愛人の経験がないので愛人役のあずさをやってみたいと手を挙げた(笑)
16年前か・・・
操先生も4回目の煙りなので、徐々に細かく深く手直しが入ってより魅力的な作品へと進化していく♪
本番の日は朝から雪止まず!
上演近くになっても雪は残っていて、
あ〜お客さん来ないなあ・・・(-_-;)
と思っていたけど!!
ご覧の通り♪
実はこの頃すでに、劇団内ではNYブロードウエイ公演を検討しはじめていて、
実現するかどうか分からないけど、発表しちゃおうとなり、フィナーレのあと告知しました
正直、この時の皆さんの反応は出来るわけないやん!?
「大きくでたな!」とも言われた(-_-;)
自分たちも可能かどうかの確信もなにもなかっつたけど、
ここから、「すずしろ」は夢の企画「Make a Wish to Broadway!」に向かい苦難の道を歩き始めたのである。
演目は試演会と依頼公演ですでに3回上演している「煙が目にしみる」を
3回しているとはいえ、東生涯学習センターの大会議室ですので、
きちんとホールで上演してみたい思いもあって決めました。
相変わらず入場料は無料ですね!(-_-;)
ホールスタッフさんが手伝ってくれると、それらしく舞台が仕上がる、流石プロの手というのは
凄いなと感心しました。
楽屋のやり方もこのころから同じ(笑)
1期生と2期生たち
さくらさん、わか〜い! 愛人の経験がないので愛人役のあずさをやってみたいと手を挙げた(笑)
16年前か・・・
操先生も4回目の煙りなので、徐々に細かく深く手直しが入ってより魅力的な作品へと進化していく♪
本番の日は朝から雪止まず!
上演近くになっても雪は残っていて、
あ〜お客さん来ないなあ・・・(-_-;)
と思っていたけど!!
ご覧の通り♪
実はこの頃すでに、劇団内ではNYブロードウエイ公演を検討しはじめていて、
実現するかどうか分からないけど、発表しちゃおうとなり、フィナーレのあと告知しました
正直、この時の皆さんの反応は出来るわけないやん!?
「大きくでたな!」とも言われた(-_-;)
自分たちも可能かどうかの確信もなにもなかっつたけど、
ここから、「すずしろ」は夢の企画「Make a Wish to Broadway!」に向かい苦難の道を歩き始めたのである。
2024年09月07日
オファーが続く♪
2024年09月06日
初めてのワークショップは?!
14名でスタートした「すずしろ」も、あっという間に11名に減り、
(減った理由についてはひと騒動もふた騒動もありました(-_-;)(笑))
「すずしろ」としての足並みを揃えるのがどんなに難しいか、
この2年弱にいやというほど学びました。
そして、残っていったもので、少しづつ少しづつ「すずしろ」を話し合いと経験で作ってきたのが分かります。
「すずしろ」は一日してならず!です(笑)
本公演以外にも順調にオファーも頂いているので、
早急に団員を増やさないと活動も難しくなってきました。
贅沢な悩みですが、とにかく人数を増やそうと操先生にワークショップをしてもらいました。
12名の応募があり、ワークショップ終了後5名が入団してくれました♪
この5名が2期生です!
さくらさんとりささん?!
リラックス♪
初めてのワークショップは成功しました♪
(減った理由についてはひと騒動もふた騒動もありました(-_-;)(笑))
「すずしろ」としての足並みを揃えるのがどんなに難しいか、
この2年弱にいやというほど学びました。
そして、残っていったもので、少しづつ少しづつ「すずしろ」を話し合いと経験で作ってきたのが分かります。
「すずしろ」は一日してならず!です(笑)
本公演以外にも順調にオファーも頂いているので、
早急に団員を増やさないと活動も難しくなってきました。
贅沢な悩みですが、とにかく人数を増やそうと操先生にワークショップをしてもらいました。
12名の応募があり、ワークショップ終了後5名が入団してくれました♪
この5名が2期生です!
さくらさんとりささん?!
リラックス♪
初めてのワークショップは成功しました♪
2024年09月04日
お寺さんからオファーが!
操先生のご友人から、
神戸須磨の香風寺(本門佛立宗)から、お寺で公演してほしいとの
思わぬご依頼をいただき、えー!!とびっくりはしたものの、
私達はいそいそと香風寺さんに下見に出かけました。
本堂でのお彼岸の法要が終わったら信者さんたちがぐるりと180度回転したら
反対側に舞台の仕込みを終えたステージが待っているという趣向でした。
本番を終えたばかりの「見果てぬ夢」をすることにしました。
照明機材から音響機材まで借りたり持ち込んだりしながら、
試行錯誤しながらなんとか舞台を作っていきました。
大変だけど工夫しながら作り上げるのは楽しい心躍る経験です。
操先生も都合をつけて帰ってきてくださり、全面的に引っ張ってくれました。
操先生はどうやらなにもないところから、あれこれ工夫していく作業が好きだし得意なのがわかりました(笑)
でも、フィナーレのマーガレットの花を落とすのはどうする?!
あれ?! あんなところに天窓が!!(仏さまのお導き)(笑)
2〜3回、準備に通いましたが、当日は200名近い信者さんでぎっしりの本堂で
無事「見果てぬ夢」をご披露して、沢山の👏をいただきました♪
神戸須磨の香風寺(本門佛立宗)から、お寺で公演してほしいとの
思わぬご依頼をいただき、えー!!とびっくりはしたものの、
私達はいそいそと香風寺さんに下見に出かけました。
本堂でのお彼岸の法要が終わったら信者さんたちがぐるりと180度回転したら
反対側に舞台の仕込みを終えたステージが待っているという趣向でした。
本番を終えたばかりの「見果てぬ夢」をすることにしました。
照明機材から音響機材まで借りたり持ち込んだりしながら、
試行錯誤しながらなんとか舞台を作っていきました。
大変だけど工夫しながら作り上げるのは楽しい心躍る経験です。
操先生も都合をつけて帰ってきてくださり、全面的に引っ張ってくれました。
操先生はどうやらなにもないところから、あれこれ工夫していく作業が好きだし得意なのがわかりました(笑)
でも、フィナーレのマーガレットの花を落とすのはどうする?!
あれ?! あんなところに天窓が!!(仏さまのお導き)(笑)
2〜3回、準備に通いましたが、当日は200名近い信者さんでぎっしりの本堂で
無事「見果てぬ夢」をご披露して、沢山の👏をいただきました♪
2024年09月03日
そして・・やっと第1回本公演へ!
「すずしろ」がスタートして2年目の2006年11月に
メイプルホール・小ホールで第1回本公演「見果てぬ夢」を上演いたしました♪
試演会の「煙が目にしみる」が好評だったこともあり、
同じ堤泰之さんの「見果てぬ夢」を選びました。
大阪弁に直したり、登場人物も男性が足りないので女性役に数名書き替えました。
今と比べると舞台セットも何もかも団員手作りで本当に質素な舞台ですが、
でも当時の団員達にとっては、初めてホールで公演するのが、
晴れがましく眩しい舞台と映りました♪
これを見てびっくりなのが入場料無料となっていることです。
「公演」と書けなくて「試演会」としたように、
まだ「お金をとるほどのものはお見せできない」との決定だったとおもいます。
間の悪いことに、「見果てぬ夢」の本番の日は、操先生の東京での舞台本番の日と重なったので、
操先生が敬愛する先輩の俳優の三松さんが指導してくださることになりました。
今なら本番に先生がいないことは考えられないことですが、役者活動も積極的になさっている
その頃は全然ありのことでした。
三松さんはジョニー・デップばりの男前で自由劇場に長くおられた少し無頼な雰囲気のある素敵な俳優さんです。
操先生とは「ラスト・サムライ」の撮影で仲良くなられたようです。
三松さんのご指導のお陰もあり、公演は好評のうちに無事に終りました。
本番が終わったその日の夜行バスにのって、私は操先生の舞台をみに新宿まで行きました。
まだまだ60代前半の私にはそんな行動力やエネルギーがあったんですね(笑)
この舞台のために団員達で作ったベンチ2個もそのあと長く役にたちました♪
あ〜涙がでるほど懐かしい・・
まあ・・幼稚園でいえば、年少さんやね(-_-;)(笑)
操先生が、「今のみんなは本当に上手です。昔はもっと下手だった」と今の団員達のお芝居を
褒めることがありますが、私は心の中で「操先生、それを比べるのは酷や」と思っています。
操先生の稽古も月1回、経験もない中夢中で自主稽古していたその条件も違いする今と
比べるのは酷です。
でもその時のすずしろには最高の経験ができたと幸せを感じたものです。
メイプルホール・小ホールで第1回本公演「見果てぬ夢」を上演いたしました♪
試演会の「煙が目にしみる」が好評だったこともあり、
同じ堤泰之さんの「見果てぬ夢」を選びました。
大阪弁に直したり、登場人物も男性が足りないので女性役に数名書き替えました。
今と比べると舞台セットも何もかも団員手作りで本当に質素な舞台ですが、
でも当時の団員達にとっては、初めてホールで公演するのが、
晴れがましく眩しい舞台と映りました♪
これを見てびっくりなのが入場料無料となっていることです。
「公演」と書けなくて「試演会」としたように、
まだ「お金をとるほどのものはお見せできない」との決定だったとおもいます。
間の悪いことに、「見果てぬ夢」の本番の日は、操先生の東京での舞台本番の日と重なったので、
操先生が敬愛する先輩の俳優の三松さんが指導してくださることになりました。
今なら本番に先生がいないことは考えられないことですが、役者活動も積極的になさっている
その頃は全然ありのことでした。
三松さんはジョニー・デップばりの男前で自由劇場に長くおられた少し無頼な雰囲気のある素敵な俳優さんです。
操先生とは「ラスト・サムライ」の撮影で仲良くなられたようです。
三松さんのご指導のお陰もあり、公演は好評のうちに無事に終りました。
本番が終わったその日の夜行バスにのって、私は操先生の舞台をみに新宿まで行きました。
まだまだ60代前半の私にはそんな行動力やエネルギーがあったんですね(笑)
この舞台のために団員達で作ったベンチ2個もそのあと長く役にたちました♪
あ〜涙がでるほど懐かしい・・
まあ・・幼稚園でいえば、年少さんやね(-_-;)(笑)
操先生が、「今のみんなは本当に上手です。昔はもっと下手だった」と今の団員達のお芝居を
褒めることがありますが、私は心の中で「操先生、それを比べるのは酷や」と思っています。
操先生の稽古も月1回、経験もない中夢中で自主稽古していたその条件も違いする今と
比べるのは酷です。
でもその時のすずしろには最高の経験ができたと幸せを感じたものです。
2024年09月01日
またまたオファーが♪
試演会からたった4ヶ月、
試演会の公演が大好評だったためか、
すぐにオファーをいただいた。
今回は2009年にブログ「すずしろ日記」を始めたときに、プロフィールを
整理して書いた文章を下記に転用しますね。
題して
「これからの公民館活動を考える」2007年問題をみすえて
箕面発60歳からの演劇パワー 〜劇団「すずしろ」特別公演〜
なんと大そうなタイトルや!
これは第46回大阪府公民館大会(豊能ブロック大会)という
公民館職員の研修で、劇団「すずしろ」が公民館活動の成功している
事例として「煙が目にしみる」を観ていただき、
その後は、劇団員と職員のかたとのパネルディスカッションといく形の
企画であった。
試演会の成功により
こうしてオファーをいただいて発表の機会をいただくのは
大変名誉なことであり、われわれの活動が箕面だけにとどまらず
他市の公民館関係者にも知っていただけて、何かの役にたつのであれば
ほんとうにうれしいことだと感じました。
この特別公演は試演会のときと
同じメンバーで同じ会場であったが、
さすがに2度目ということもあり、
団員たちにも少しは気持ちの余裕が現れていた。
でも気持ちを入れて、精一杯の舞台をご披露できたと思う。
残念ながらこのときの舞台写真やパネルディスカッションの
様子の記録が全く手元にない?! のですよう〜!
試演会の公演が大好評だったためか、
すぐにオファーをいただいた。
今回は2009年にブログ「すずしろ日記」を始めたときに、プロフィールを
整理して書いた文章を下記に転用しますね。
題して
「これからの公民館活動を考える」2007年問題をみすえて
箕面発60歳からの演劇パワー 〜劇団「すずしろ」特別公演〜
なんと大そうなタイトルや!
これは第46回大阪府公民館大会(豊能ブロック大会)という
公民館職員の研修で、劇団「すずしろ」が公民館活動の成功している
事例として「煙が目にしみる」を観ていただき、
その後は、劇団員と職員のかたとのパネルディスカッションといく形の
企画であった。
試演会の成功により
こうしてオファーをいただいて発表の機会をいただくのは
大変名誉なことであり、われわれの活動が箕面だけにとどまらず
他市の公民館関係者にも知っていただけて、何かの役にたつのであれば
ほんとうにうれしいことだと感じました。
この特別公演は試演会のときと
同じメンバーで同じ会場であったが、
さすがに2度目ということもあり、
団員たちにも少しは気持ちの余裕が現れていた。
でも気持ちを入れて、精一杯の舞台をご披露できたと思う。
残念ながらこのときの舞台写真やパネルディスカッションの
様子の記録が全く手元にない?! のですよう〜!