*2004年11月*
講座終了後、演劇活動を続けたいというひとが16名集まった!
それは男性も女性もかなりの「つわものども」であった。
集まったものの、完全な自主グループであるわれわれには
話し合ってまず決めていかなければならないことが
山のようにあった。
毎週毎週、課題ごとに議論白熱!
口角泡を飛ばし、自分の主張や考えをそれぞれが言う!
納得できなければ、一歩も後に引かない!
なんとまあ〜〜・・・!!
いや、いや、いや・・・!
ここまで激しいとはアッキーも想定外!
えっ! ええっ! 今さらこれと付き合っていくのか・・・!
穏やかに楽しくシニアのみんなと手に手をたずさえて
演劇活動をはじめるつもりだったのに・・・
でも考えてみれば、当たり前。
それぞれが60年以上の人生を生きてきて、
その間に培ってきた人生観や生き方や思いは全部違っても当たり前。
山の頂上へ登るコースがみんな違っても当然のこと。
でも演劇というひとつの世界をみんなで協力して創り上げないと
いけない。
これがいわゆる名誉ある「一期生」たちである。
一期生たちの衝突、トラブル、エピソードなど書いたらきりもない。
でも、このスタートが5年たった今のすずしろの基盤をつくり、
何事も話し合って、議論して、みんなの納得の上で進んできた
誇り高いすずしろスタイルだ。
講師であった倉田みさをさんには
「続けてみさを先生に指導してもらいた〜い!」と
団員の半分以下の年齢差にもかかわらず、
みんなからの熱い支持があったが、
みさをさんはこのときすでに自分の役者としての
更なる可能性を求めて本拠気を東京にと決めていた。
みんなの熱いラブコールに
「もうひとつのこどもたちの劇団の指導もあるので、
月1回のペースで東京からもどってきます」と応えてくれた。
劇団「すずしろ」の劇団名が決まるのも
相当議論が白熱した。
20以上の候補があがったと記憶している。
硬いものから柔らかいものまで・・
漢字から横文字まで・・
結局、大根役者という意味を込め、
劇団「すずしろ」に多数決で決まった。
結局は謙虚な名前(?)選ぶみんなは
謙虚なひとたちかもしれない・・・??
わたしはすずしろの未来に希望を持った。
ほんまにアッキーのつぶやき・・
(こんなん読んでておもしろいのかなぁ・・・?
どうおもいますゥ〜?)
2009年12月28日
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