すずしろ活動は5年目に入って益々順調に快調なペースでやってこれたが、
一番の悩みは面白い上演作品がなかなか見つからないことだった。
「煙が目にしみる」と「見果てぬ夢」以上の面白くすずしろに合っている作品がない(-_-;)
今のように何もかも情報がネットやスマホで探せる時代でもなかった。
図書館を巡り本屋を巡りパソコンでネット検索など試みるがなかなか見つけられなかった。
ある日新聞の書評で「面白い」とあった漫画本「この度はご愁傷さまです」を読んで、
これいけるかもとピンときた私は、すぐに本屋へ行きこの漫画本を手に入れた。
漫画なのでストーリーはめちゃくちゃでとても舞台化は出来ないけど、
この物語の設定が実に面白かった。
かなり「はッちゃけた親父」が亡くなり、3人の子供(長男、長女、次女)に1億円の遺産を残す!!
その遺産を手に入れる方法も「かなりはっちゃけている」
その過程で親とも兄妹とも疎遠だった3人は親の思いや人生で大事なものに気づいていく・・
その設定だけを頂いて、すずしろに合うように脚色していった。
原作の宮本福助さんにどうやって連絡取ろ?!(それも初体験)
小学館発行? 東京の本社に電話したら、宮本福助さん担当の編集者に話を聞いてもらえた。
「うちが発行元なので、宮本さんに聞いてみます」
かなり事務的なお返事・・(-_-;)
そりゃ、映画化やドラマ化の儲かる話ではないのだ。
アマチュアのシニア劇団?!(なんの旨味もない話だもんなあ)
しか〜し、宮本さんは「そういう事情なら」(かなり頑張ってアピールした(笑))
「どうぞ上演権も無料でお使いください」(ええひとやんかぁ!)
小学館の担当者は「もし再演するときは必ず連絡ください」と念を押された
こうして徐々に色んなルールを勉強し、私の「すずしろワールド」が広がっていった。
入場料が無料からやっと500円の有料となった!(有料にするには議論白熱喧々諤々の結果だ)
すこしづつ書き進めては稽古でみんなとやってみた・・
10か月も俳優の舞台のお仕事ですずしろにはお留守だった操先生にはけちょんけちょんにけなされた(-_-;)
「こんなのやったら、完全にすべります。全部ゼロにしてやりなおし」
「頑張って稽古でも試して書いた台本なのでこれ以上出来ません」
「なら僕が書きます」
「操先生、大瀧萌ゆるの主役も3月にあるのにできますか?」
(この時すでに私は操先生のぎりぎりまで動かない、
自分のペースでしか動かないのが操先生だってことを痛いほど知っていた)
「余裕でしょう。来年の5月でしょう? 11月くらいにできてなかったらやばいけど」
実際は「大瀧萌ゆる」の本番が終わる3月まで何も進まずにいくことになる(-_-;)
結局、もともとすずしろで作っていた台本に操先生が手直しをいれながら、
2か月で公演ぎりぎりで仕上がった。
操先生も私も、台本を手直ししすぎて、これが面白いのかどうか判断できなくなってしまった((笑)
舞監の中村さんが「面白いやん」と言ってくれたひと言でふう〜とひとまず安堵したのをよく覚えている。
操先生のキチンとした和室が欲しいという希望で、
初めて舞台セットをメイプルの制作会社に頼んだ。
流石の畳の和室の仕上がりに感心しきり。
でも庭のブランコも団員の手作りだし、
テレビはおすぎさんの家から、ビデオデッキは私の家のやったかな?!
まだ箕面の山のクリーンセンターでは、リサイクルで展示してあるのは
無料で持って帰っても良い時代で、タンスや他のものも全部探し出してきた。
実際この作品は好評でその後2度再演された。
集合写真も団員数が増えてきているのがわかる。
ここらへんの作品までは、すずしろの成長を実感しながら充足した活動だったと思うけど、
どこらへんからすずしろは変わっていったのかな?!
2024年09月20日
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